全力投球しないのがかっこいい、という思想をこじらせるとこうなる(2)

自分語り継続。

中学もしくは高校くらいまでは学校の授業をそこそこまじめに受けてさえいれば、あとは部活(※文化系)に精を出して塾なんか行かなくても好成績をキープできる。その代償というわけではないけど運動神経は壊滅的で体育の授業や体育祭、マラソン大会なんかはもう考えただけでも地獄、昼休みに外で運動するなんてもってのほかで教室で本でも読むなり図書室に行くなりして適当にすごす。
こういう感じの青春(笑)を送った人は世の中意外と少なくない気がします。特にそういう手合いはインターネッツとの表層的な親和性も高い(=ガチで情報系の専門家になるほどのスキルや情熱はあまりない)から、Webを徘徊していてかつての自分の同類がそこここでうろうろしているのを見つけて、そいつらがブログなりから発信する「あるある」みたいなネタに共感できやすい。あとはわかりますね、無限ループです。駄サイクルとも言う。

一般化できるほどではなさそうなので、俺の場合、ということに限定して話を進めますと、大学受験くらいまでは特になんといって苦労をした覚えがありませんでした。数学がダメだから文系でいいや、そんなに高いレベルの学校でやりたいことがあるわけでもないし、一人暮らしに興味はあるけど安く上がるほうがいいって親も言うから近所の地方国立でいいか、というようなルート。こんな感じのぬるま湯に慣れすぎると、ぱっと見で苦労することはないであろうとわかるくらい低めのハードルを適当に飛び越えていく人生はすごくよいものだ、と勘違いするわけです。よりタチが悪いのは、なまじ中途半端に出来がいいと世間的にそこそこ評価のいい高校なり大学なりに通るくらいのことはこの人生プランでも十分可能なので、「ほかの奴が割と必死になってもダメな場合もあるような門を大して苦労せず通り抜けちゃう俺って実はすごいんじゃね?」という決定的な勘違いが身についてしまう。

このことに早めに気づいて「恵まれているのはありがたいがそれに重ねて努力をしたほうがよりよい結果を出せる」と意識を切り替えられたら問題は解決するとは思うんですが、それが簡単にできるなら苦労はしないんですよね。適当にやってもだいたいどうにかなる、致命的な破綻はしないからちょっと失敗したくらいならまあいいか、で済ませてしまうようになる。確かに高校生くらいまでならそれもいいでしょう。しかし大学に入学してからは違います。適当に毎日与えられる授業の機会をやり過ごして、たまに降ってくるテストをこなしていればいい、という世界じゃなくなる。特に文学部なんてところに入ろうものなら、そもそも答えが出ないなにものかを相手にして日々問答を繰り返すことがすべての前提条件になってきますので、そこまで自分が頼ってきた常套手段がまるで使えなくなるわけです。でも、矛盾してるようではあるけど、レポートを切り抜けるだけ、試験をいなすだけ(世の人は「文学部で試験なんてある場合があんの?」と思われるでしょうが、たまにあります)、卒論書くだけ=単位を取得するためだけならまだ対応できてしまうんです。「全力投球かっこ悪い」マインドのたちの悪さはこの辺にあります。なんだかんだある程度までは対応できてしまう。

で、大学なんて就職のための予備校だから単位さえとって卒業できりゃあとは用がないぜ、と割り切ってしまうならそれで全然かまわない。俺の場合に問題なのは、なぜ修士課程どころか博士後期課程まで進んでしまっているのか、ということなんですね。正味の話、高校生時代から精神構造がほとんど変わっていない気がします。全力にならずに適当にこなすことがかっこいいとどこかでまだ思っている。相当根が深いのでどうやって治せばいいやらいまだに見当がついていません。自分で積み上げてきたものだけどタチが悪すぎて困る。





おまけ。
オリジナルは以下。これはまちがい。

( ^o^)就職なんてできそうにない!一体どうすれば…

( ˘⊖˘) 。o(待てよ、人は何の為に働くんだ…?)

哲学科 ┗(☋` )┓三

( ◠‿◠ )☛ここへ来てしまったか…お前の就職活動は失敗に終わる

▂▅▇█▓▒░(’ω’)░▒▓█▇▅▂うわああああああああ

せいかい。

( ^o^)就職なんてできそうにない!一体どうすれば…

( ˘⊖˘) 。o(待てよ、人は何の為に働くんだ…?)

文学部 ┗(☋` )┓三

( ◠‿◠ )☛ここへ来てしまったか…お前の就職活動は失敗に終わる

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