誰得思い出話

かつて大学の学部を出た直後(4年生のときではなく、卒業して肩書きがなくなった後)にいわゆるシューカツをほんの少しだけしたことがある。リクナビなんてもはや使えない*1ので、当時でも建前上既卒を選考対象にしていた大手新聞社を受けた。
筆記試験はとりあえずパスした。公務員試験などにくらべてはるかに簡単だったし当然だと思う。エントリーシートと筆記試験はセンターでいう足きりのようなもので、最低限の学歴とまっとうな日本語能力と指示されたことを書く能力があることを確認するただの作業だ。

俺は校閲記者になりたかった。というか、一般記者というものには興味がまるでなかった。取材をするだのスクープをとるだの社説を考えるだのといったことは心底どうでもよかった。今でもどうでもいい。校閲記者なら人が書いた記事になる前の文章をただひたすらにチェックしてよりよい文章にすればよいのだから、文字と延々格闘できてサイコーだと思っていた。今でもそういうものだと勝手に思い込んでいる。本当のところどうなのかは知らない。

ただ、そういう姿勢だと、必然的に新聞社もどこだっていいことになる。事実、試験日程がかぶるので大手2社のうち片方しか受けられなかったが、どっちでも全然かまわなかった。極端なことを言えば赤旗新聞だろうが朝鮮日報だろうがさして問題ではなかった。記事にこめられたイデオロギーだの偏向具合だのはすべて無視してひたすらに校閲作業をすればよいのだと思っていた。

実際に面接でどんな話をしたのかは覚えていないが、そういうどーだっていいやという姿勢はしっかりと透けて見えていたのだと思う。ただ、就職するときに「ここの会社でないとだめだ」という理由をはっきり挙げられる志望者がどれだけいるのだろう。新聞記者になりたいだけなら別にどこの新聞社だってかまわない。初任給が10倍違うならともかく、どこの会社に入ったところでそう大きな差があるわけでもない。
それをうまく「私はあなたの会社にこそ入りたいのです」と臆面もなく言ってのけるふりをうまくできるかどうかで就職できるかどうかが決まるのだろう。だからこそコミュ力なる不可解なものが今の世の中では重要なのだろう。


たまには早く寝ようと思ったのに結局こういうことになる。

*1:新卒カードを失った既卒者はリクナビNEXTなるものにしか登録できない。